ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

先生から送られた最後の言葉

みぃみ
卒業式の話、もう少し続きますね。


ケン太が校長室の卒業式に出ることになったこと。

卒業式の朝、主人に伝えたのです。

その頃の主人と私・・・

ひと時の、ケン太を巡って意見が衝突するということはもう無くなっていました。
主人が話合いを避けるようになってしまい、無視され、何も話しかけられない状態。
衝突するよりも、状況は悪くなっていました。

「衝突」って、分かってもらいたくて、相手に向かっていくということですから。
根底には、改善したいという気持ちがあるのです。

私達夫婦にはもうそれが無くなってしまっていました。


なので、卒業式のことを伝えるだけでも、勇気がいりました。
でも、それも言わないなんて、そこまで終ってしまっていると思いたくない。

なので、伝えました。


「・・・情けないよな」

「・・・」

「まあ、面倒みてやってよ。これから、あなたが・・・」

「・・・」

「住宅ローンが終わったら、この家、あなた名義にしてあげるよ」

「・・・」


悲しくて泣けました
涙が次から次へと溢れてきました。

こんな言葉を聞くために報告したのではありません。


学校で顧問に受け入れられず・・・

家で父親に受け入れられず・・・

かわいそうな、ケン太。。。

それを変えることができない自分の無力さにも泣けました。



担任の先生は、まだお若い先生で、確か、当時25歳くらいだったと思います。

ケン太の卒業式の後、異動が決まりました。

教職に就かれて初めての学校。
4年間を終え、初めての異動です。

学校で先生とのお別れの式「辞校式」があるのですが、
卒業生の参加は任意です。

多分、ケン太は「辞校式」には来ないだろうと思われたのでしょうね。
前日、先生から電話がありました。

「ケン太、いますか?どうしているかなと思って、明日はバタバタするので
今、話できるかなと思ったんですけどね」と。

ケン太は友達の家に行ってしまっていて、先生と話をすることは叶いませんでした。

高校に向けての気持ちはどうか?と聞かれ、
準備は着々と整え、気持ちも高校に向かっているようだと伝えると、
ほっとされていたようでした。

そして、こんな話も・・・

先生の知り合いが小学校5年の時からずっと不登校。
中学校も全然行っていなかった子が今、自分の道を切り開いている。
彼はとても独創的で、普通の人には持っていない才能を持っていた。
学校というシステムが合わなかっただけのような気がする。

自分のいいところを引き出せればいいんだと思う。
お母さんもケン太のいい部分を見てあげてください。

ケン太は最後、ちゃんと顔を上げてまっすぐ前を向き、
しっかりと相手の目を見ていました。(卒業式)
それができる子です。
それが彼の本来の姿ですから。


この言葉に救われました。

先生は対応に悩み、試行錯誤をしながらも、決して諦めず、
最終的には、ダメなところを拾うのではなく、
いい面を見つけようと肯定的にみてくださいました。

本当にありがたかったです。


最後「本当に何もしてやれなくて申し訳なかったです」と謝られるので、

「こちらこそ、ただでさえお忙しいのに、余分な仕事を作ってしまったと思います。
たくさん時間を使わせてしまい申し訳なかったです」と、

「いえ、忙しくなんかないです。全然、暇なんです。ほんと暇なんです」と。

暇な訳ありませんよね

恐縮する私への心遣いだったと思います。


そして、高校に入学したケン太は順調そのもので・・・(1年生の時はね)
駅で、ボランティア活動をしている時、偶然にも担任の先生が通りかかったそうです。

先生はケン太の元気な姿を見て、とても喜んでくださったようです。
いろいろと高校生活のこと聞かれたらしいですよ

その後、また崩れてしまったことは知らないと思うけど

先生の最後の思い出の中のケン太は、その輝かしい学生生活を送っている姿だといいなと思います。